砂川啓介さんといえば、テレビアニメ『ドラえもん』の声優で有名な大山のぶ代さんの旦那さんですが、2017年に80歳で亡くなっています。
砂川さんは、一体どのような方だったのでしょうか?
今回は、砂川啓介さん若い頃にフォーカスしていこうと思います。
砂川啓介の若い頃は体操のお兄さんだった!
佐川啓介さんは、NHK教育番組の初代体操のお兄さんとして有名になりました。

- 名前:砂川啓介(さがわ けいすけ)
- 本名:山下啓一(やました けいいち)
- 生年月日:1937年2月12日
- 出身地:東京都江東区深川
- 職業:俳優・タレント
佐川啓介さんは昭和12年2月12日に、東京の深川に生まれます。
高校時代から東京少年劇団に所属し『足摺岬』などの映画で活躍していて、卒業後は舞台俳優やダンサーとして活動していました。
ちなみに、通っていた高校は成城高校で、卒業後は早稲田大学文学部に入学していますが、半年で中退したようです。
その後は、江口舞踊研究所へ入所し、本格的にモダンダンスの指導を受けています。

この経験が体操のお兄さんに抜擢されることに繋がったんだね
1961年からは、NHKの『うたのえほん』という番組で、初代”体操のおにいさん”に抜擢されます。
これにより、知名度が一気に上がりました。
砂川啓介は『おかあさんといっしょ』に出てた?
砂川啓介さんは、1961年から『うたのえほん』という番組で体操のお兄さんをしていましたが、この番組は当時、NHKラジオ第一放送で放送されていた『うたのおばさん』という番組に、体操の要素を付け加えたものでした。



”おばさん”は少しひどいね(笑)
構成は、”うたのおねえさん”による歌と、”たいそうのおにいさん”による体操にのパートに分かれていました。
ちなみに、”うたのおねえさん”は真理ヨシコさんと中野慶子さんという方です。
この時は”うたのおにいさん”がいなかったため、砂川啓介さんが男性パートを歌うこともあったそうです。
体操は専門家の意見を取り入れて作られた、「元気に一、二」という体操を放送していました。
その後、1963年からは「おもちゃのラッパ」という体操も放送しています。
『おかあさんといっしょ』と統合
1966年4月からは、『おかあさんといっしょ』のコーナーの一つとして統合されます。
『おかあさんといっしょ』は1959年の10月5日から放送されていました。



それから現在まで続く長寿番組だね!
実は、砂川さんは1969年の時点で体操のお兄さんを引退していて、『うたのえほん』コーナーも1976年に終了してしまいます。
砂川啓介さんが『おかあさんといっしょ』に出演していたのは、3年間だけだったようですね。
しかし、『うたのえほん』時代を合わせると、合計で8年間ほど体操のおにいさんとして活躍してい他ということになります。
体操のお兄さん引退後はマルチな活動
砂川啓介さんは体操のお兄さん引退後、多方面に活躍の場を広げています。
1980年からは『お昼のワイドショー』という番組で、青島幸男と6代目古今亭志ん馬の後継として、6年間に渡り司会を担当しています。
その他にも、俳優、タレント業、舞台演出、ラジオパーソナリティー、講演活動など多方面で活躍していました。
妻、大山のぶ代との出会い
砂川啓介さんと大山のぶ代さんの出会いのきっかけは、1964年の『孫悟空』の舞台で共演したのがきっかけでした。


当時はまだ『うたのえほん』で体操のお兄さんとして活躍していた砂川さんですが、大山のぶ代さんは『おかあさんといっしょ』で初の人形劇『ブーフーウー』で声優を務めていました。
その時はまだ『うたのえほん』が『おかあさんといっしょ』と統合されていなかった別番組だったためか、二人が出会うことはなかったそうです。
その後、舞台『孫悟空』で共演した二人ですが、砂川啓介さんが大山のぶ代さんの楽屋に挨拶に行った際に、蕎麦屋の出前と間違えたという逸話があります。
まとめ
今回は、砂川啓介さんが体操のおにいさんだった若い頃を調査して行きました。
『おかあさんといっしょ』に出演していた期間は意外と短かったようですね。
しかし、その軽快に飛び跳ねる姿は多くの人の記憶に残っているのではないでしょうか。
晩年は妻である大山のぶ代さんの介護に尽力した砂川啓介さんですが、天国では二人仲良く暮らしているといいですね。
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