俳優でシンガーソングライターの宮瀬琉弥さんですが、その濃いめの顔立ちから、フィリピン人のハーフなのではないかと言う噂があります。
果たして、その噂は本当なのでしょうか?
調べていくと、宮瀬琉弥さんの意外な過去にも辿り着きました。
宮瀬琉弥はフリピンのハーフ?
宮瀬琉弥さんは、フィリピン人ハーフ風の顔立ちではありますが、純粋な日本人です。
- 名前:宮瀬琉弥(みやせ りゅうび)
- 生年月日:2004年1月22日
- 年齢:21歳
- 出身地:宮城県石巻市
- 身長176cm
- 血液型:AB型
- 所属事務所:スターダストプロモーション
宮瀬琉さんは宮城県石巻市の出身で、両親と妹三人の六人家族です。
両親の国籍などは分かりませんが、以前にインタビューを受けた時に、記者から「ハーフみたいですね」と尋ねられ、「実は純日本人なんです」と答えていたため、宮瀬琉弥さんは純粋な日本人のようです。
ちなみに、一番上の妹は長妹は東北を中心として活動するアイドルグループ『いぎなり東北産』のメンバー伊達花彩さんです。

確かに、顔の雰囲気が似ているけど、苗字が違うよ?
宮瀬琉弥さんは、もともと『M!LK』というボーカルダンスユニットに所属していて”琉弥”という名前で活動していました。
その『M!LK』在籍時に苗字を公募して、出身地の宮城県から世界へ羽ばたけるようにという願いが込められた”宮瀬”という苗字がつけられたのです。
ちなみに、名前の琉弥(りゅうび)は本名のようで、日本テレビ系バラエティ番組『行列のできる相談所』に出演した際に由来を話していました。
それによると、当時父親がハマっていた三国志のゲームに出てくるキャラクター”劉備玄徳(りゅうび げんとく)”が強くて好きだったため、琉弥(りゅうび)と名付けたようです。
劉備玄徳といえば、三国志では主人公的な立場で、その人柄が多くの民衆や仲間たちからも慕われたことで有名ですね。
宮瀬琉弥さんのお父さんも、そのような人になってほしいという思いを込めて名付けたのかもしれませんね。
しかし、宮瀬琉弥さんは三国志を読んだことはないそうですw
苗字に関しては、妹の伊達花彩さんが「伊達」であることから伊達なのかと思いきや、亀井という苗字が本名だという情報があります。
つまり、亀井琉弥が本名だと言われています。
宮瀬琉弥は東日本大震災で被災していた?
宮瀬琉弥さんは、宮城県石巻市出身です。
宮城県の石巻市といえば、東日本大震災で大きな被害を受けたことを連想する方も多いのではないでしょうか?
実は、宮瀬琉弥さんも、東日本大震災の被害に巻き込まれた一人でした。
震災当時、宮瀬さんは松島市の小学校に通う1年生で、2011年3月11日の当日は小学校の帰りの会の真っ最中でした。


地震発生から間も無くして、母親が車で琉弥さんを迎えに来て避難することになります。
琉弥さんは、そのまま妹を迎えに行くと思っていたそうですが、その矢先に、田んぼ道の真ん中で車ごと津波に飲み込まれてしまったそうです。
その後、しばらく津波に流されたものの、運よく車が小高い丘に流れつき、母親と一緒に車から脱出して一命を取り留めたそうです。
のちに、宮瀬琉弥さんは被災した場所を訪れ、自分が今生きているのは奇跡的だったと語っています。
「妹たちをそのまま迎えに行ったりとか、どっちか違う方を選んでいたら…◯んでいたかもしれない」
「1つ1つ偶然が重なって、いま生きていられるんだというのは…現地に戻ってきて思いますね」
引用:TBS NEWS DIG
震災当時、東松島市の野蒜海岸には高さ10mを超える津波が押し寄せていました。
市街地の約65%が浸水し、7割以上の住宅が倒壊するなどの、甚大な被害を受けてしまいます。
残念ながら、宮世さんの自宅も津波に流されてしまい、市内の親戚の家に避難したそうです。
宮瀬琉弥さんがそのような苦難を乗り越えてきているとは、意外だったのではないでしょうか?
まとめ
今回は、宮瀬琉弥さんがフィリピン人のハーフなのではないかということについて調べていったら、東日本大震災で急死に一生を得た体験をしていたことが判明しました。
本当に、宮瀬琉弥さんが芸能界で活躍しているのは奇跡的なのかもしれませんね。
これからも、さらなる活躍を期待したいですね。
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